“女優を主人公にして、アメリカのモダンライフを表現したかった”
スコット・コフィ 『ナオミ・ワッツ プレイズ エリー・パーカー』について語る
4年前、私はロサンゼルスのフリーウェイを飛ばしながらメイクをし、衣装を着替え、さまざまにイメージを変えながら、次から次へとオーディションをはしごして回る“若き一人の女優”についての16ミリ映画を製作した。2日間の撮影だったが、2001年のサンダンス映画祭のショートプログラムで上映されるに至った。私はこの作品で女優志願のヒロインの眼を通して現代のリアルなLAの風景を描こうと思った。幸いにも映画祭で高い評価を受け、その後脚本の内容をふくらませ4年間で1本の長編に仕上げた。デジタル・ビデオ(DV)を使って撮影したのには理由がある。ギラギラした輝きやロサンゼルスの少し陰った光を、カメラが完璧に捉えてくれると思ったからである。さらにDVによる撮影では、他の映画製作の手法よりも断片的なものを遥かによく捉えることができる。また、俳優をこんなにもクローズアップして撮れるのは、とても嬉しいことである。手のひらサイズのカメラで撮影することで、俳優との緊迫感や親密度が高められるのだ。私は、カメラがエリーの神経の延長線にあるかのように楽しむことができた。この映画のスタイルやビジュアルは偶然的なものと見られがちだが、実際はじっくりと考え抜かれたものなのである。
私が初めてナオミ・ワッツに会ったのは5年前のこと。その時2人は「タンク・ガール」という映画に出演していた。以後、私達はデイヴィッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ」で再度共演し、大の親友になった。映画を作ろうと思ったとき、最初に彼女のことを思いついた。もし互いに信頼し合っていなければ、裸の親密なシーンは撮れなかっただろう。クルーなしで、文字通り自分自身で何もかもしなければならないというのは非常に難しいことであったが、それがこのプロジェクトをユニークでオリジナルなものにしたと思う。つまり覗き見的ともいえるシネマヴェリテ風なムードが作品にただよったのである。
この映画はオーソドックスな方法とは全く違ったかたちで製作された。資金的なサポートが全く無かったのである。私と編集者、それにナオミと数人の俳優のみで撮影され、法人団体、融資家、プロデューサーなどの力は一切借りず、舞台衣装や小道具も一切なく、私一人で作った映画である。ほとんどのハリウッド映画で使用される、スチール材、木材、鋲などは一切使っていない。代わりに、わら半紙、バルサ材、スコッチテープなどを使っている。全て手作りであり、裏方でも機械による作業は一切行わなかった。観客がこの作品の隅々まで見て取れるように、ナオミと私を身近に感じてもらえるよう、私達がいかに信頼し合い、注意を払ってきたかを細部に至るまで見てもらえるようにしたのだ。
映画を制作しているうちに起きたハプニングと言えば、ナオミがハリウッドのトップスターになってしまったことである。以前の彼女は、私の短編映画のヒロインに過ぎなかったが、常に女優としての仕事もあり、決して食うに困るようなこともなかった。しかし、彼女がうなぎ上りに名声を獲得し、100万ドルの報酬を得るようになったさまを目の当たりにして、ゾクゾクするようなスリルを感じた。しかしナオミが有名になったことは、私の映画にとっては良いことであった。もちろん、リスクをはらんでいることも承知の上だった。撮影は、ストップしたかもしれなかったのである。彼女は忙しくなり、空いた日を見つけるのに非常に苦労した。しかし幸運にも、サンダンス映画祭のスタッフのお陰でこの作品が再び脚光を浴びたのだ。ナオミを見るのであれば、まず最初に私の映画に出演した彼女を見てもらいたい。『ナオミ・ワッツ プレイズ エリー・パーカー』での彼女は、他の出演作よりもずっとひょうきんでパンチの利いた演技を披露しているからである。
『ナオミ・ワッツ プレイズ エリー・パーカー』は、ナオミと私が2日間で制作した16分ものの短編映画に始まり、多くの変遷を重ねてきた。短編ものが2001年のサンダンス映画祭のショートプログラムで公開され、その反響が大きかったため、私達はさらに4本の短編ものを撮り、最終的にはそれを1本の長編作品にまとめた。『ナオミ・ワッツ プレイズ エリー・パーカー』の撮影中、私自身にも多くのことが起きた。それは、2人の愛する人、母のゲイ、それに親友のジュンが亡くなったことだ。2人には2005年の映画祭でやっとプレミアム上映された『ナオミ・ワッツ プレイズ エリー・パーカー』をぜひ観てほしかった。結局私は、2000年初めからずっと、この作品にかかりっきりだったのである。普通の映画制作とは全く違い、正真正銘の奉仕活動であった。多額とは言えないが、製作費は全て私の自腹によるものである。この映画は、私、ナオミ、他の俳優、私の友人のブレア、さらには昼間の仕事を終えた後に何日にも徹夜をして本当に一生懸命頑張ってくれた優秀なエディターであるマット・チェス、キャサリン・ホランダーで作った作品である。
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