アカデミー賞撮影賞 2度受賞。International Cinematographers Guildより“アメリカ映画に最も影響力のある撮影監督の10人”のひとりに選出された天才的カメラマン。ジョージ・ルーカスが映画の道に進むきっかけを与えたのもハスケルだった。数多くの作品を手がけながらも、南カリフォルニア大学で長年にわたり教鞭をとり、多くの有能な映画製作者を生み出した。84歳になる現在も映画製作に精力的に取り組み、映画業界の劣悪な労働環境に疑問を投げかけたドキュメンタリー 『Who Needs Sleep?』は2006年のサンダンス映画祭で上映され、話題を呼んだ。

監督・製作・ナレーション
“長年、父親の名声の影から抜け出そうとしていた”

第一線で活躍するフォトジャーナリストであり、ドキュメンタリー映画制作者でもある。彼の作品は、タイム、ライフ、ナショナル・ジオグラフィック、ニューヨーク・タイムス などの刊行物でも発表されている。また、「世界報道大賞」のアウトスタンディング・フォトジャーナリズム部門では、複数回受賞している。 現在は映像製作に主力を置き、 2001年に「ナショナル・ジオグラフィック チャンネル」で放送された「エアフォース・ワン」でドキュメンタリーとしては記録的な高視聴率を記録した。 マークはハスケルの 2番目の妻の子で、難しい関係にあった父親と映画を作ることで理解を深めようとした。「この映画を作るか、セラピーに通うか、二つに一つしかない」と思って映画製作を決めたと語る。

  『アメリカン・グラフィティ』、『スター・ウォーズ』

“彼は僕の想像を超えた豊かな映像を撮ってくれたよ”

レーサーを目指していたが、高校生の時の事故に遭い断念。ハスケルの勧めで南カリフォルニア大学フィルムスクールに進学し映画製作を学ぶ。当時無名だったジョージは、フランシス・フォード・コッポラを製作に迎えることで、『アメリカン・グラフィティ』の資金を集めた。少ない照明で夜の街を撮ろうと試みるも、フォーカスが合わずに撮影は難航。ルーカスはハスケルに助けを求め、急遽ハスケルはビジュアル・コンサルタントとして製作に加わった。


  『コール・ガール』、『帰郷』

“カメラマンを頼むなら絶対ハスケルだと思った”

父親はヘンリー・フォンダ、弟はピーター・フォンダ、姪はブリジット・フォンダ、と俳優一家で知られている。 70 年代に反戦運動に目覚め、当時の夫で活動家のトム・ヘイデンと反戦映画『イントロダクション・トゥ・ザ・エネミー』を製作。撮影をハスケルに依頼している。戦火のベトナムでの撮影にともに挑み、世間を騒然とさせた。その後ハスケルが撮影監督を務めた『帰郷』ではアカデミー賞主演女優賞を獲得した。


  『ウォール街』、『ブラック・レイン』

“今までの映画人生の中で、最悪の体験だったよ”

『カッコーの巣の上で』は父親で名優のカーク・ダグラスが原作の映画化権を所有していたが様々なトラブルに見舞われ、製作に至るまで 13 年もかかった。 1971 年にカークは息子のマイケルに権利を譲り、彼の初製作となった。映画化が決まったとき、撮影監督にハスケルを指名。しかし、監督ミロス・フォアマンと現場で対立したハスケルに悩まされることとなった。


 『明日に向かって撃て!』、『アメリカン・ビューティー』

“彼は偉大な製作者であり、カメラマンだ。そしてもちろんよき友人さ”

アカデミー撮影賞を3度受賞したアメリカを代表する撮影監督のひとり。ハスケルとは長年の友人で、家族ぐるみの付き合いをしており、ハスケルと馬が合わなかったマークの父親的存在でもあった。 76 年には CM 製作会社を
共同で設立。ハスケルとは正反対の穏やかな人柄で、頑固で気難しいハスケルと上手くバランスが取れていたという。映画業界の労働条件の過酷さに疑問を投げかけ、のちにハスケルはこれをテーマにドキュメンタリー『 Who Needs
Sleep? 』( 2006 年サンダンス映画出品作)を製作した。 2003年に他界。

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