■「バハ1000」

 SCOREが主催するパン・アメリカン・オフロードシリーズ6戦の最終戦でもっとも人気が高い。1000マイル(約1600km)をノンストップで走破する。2輪、バギー、トラックなど様々な(プロクラス26種)カテゴリーから挑戦が可能。1967年にスタートした。



■「バハ1000」の歴史

 「Tecate SCORE バハ1000」は前代未聞のオデッセーであり、世界中の冒険を求める人々を刺激してきた。
レースの参加者全員(勝者も敗者も)が同等にこのような大きな達成感を味わい、大きな目的、偉大なる栄光を味わえるようなレースはいまだかつて他に類をみない。
他の大チャレンジと同じく、バハ1000の開始は偶発的なものだった。

  1965年、2人の冒険家が、アメリカの国境を越えたティワナから、バハ半島最南端のラ・パスへの挑戦を決心したのだ。それが可能かどうかを確かめるべく。
彼らはティワナの警察でスタンプが押された証明書を受け取り、思い切り沿岸を突き進んだ。
ラ・パスに到着し、同じく証明書を受け取った。
開始するために為すべきことは全てした。
その後、4輪駆動に乗った男たちが言った。
「おい、あいつらにもできるのなら、僕らもやろうじゃないか」と。
それが今、世界で最も有名ともいわれるモータースポーツ・イベントへと発展したのである。
その二年後のバハ・レース後、一人の紳士、エド・パールマンがNORRA(National Off-Road Racing Association)という非常にルーズな組織を立ち上げた。
彼は、さまざまな車種の車両を特定するとともに幾つものルールや規定をつくり、メキシコ政府と協力し、このイベントを行うための基礎を創り上げた。
最初のレースは1967年に開催され、1971年に後方支援関係の問題が発生するまで続いた。
メキシコ政府はそれに1年かけたが、やはり同じような問題があることが判明した。
当時レースに参加していた肝っ玉の座った人物の一人に、Sal Fishがいた。
彼はRevell model car kit company提供のバハ・バグを操縦した。
Fishは言った、「私はこのようにして、この半島、そしてこの半島の人々と触れ合うことになった。私は完全に心を奪われてしまった。がしかし、その会社を自分のものにしようなど、否、いまだここに居続けようなどとは、考えたことはなかった」と。

 1973年、Fishは職を離れ、Score Internationalのプレジデントとなった。
彼はバハ1000のための団体を起こし、それ以来レースが開催されている。
Fishは言う、「この団体を組織するのは、第三次世界大戦を起こすような大変さだった。途方もないことだった。31年前から取り組んでいた。政府は変わり、人も変わり、土地も気候も変化した。そんな中で、常にうまく運ばなければならないのだから」と。
車種はいろいろと変遷を経たかもしれないが(今やプロクラスでは26もの車種がある)、しかしレースのスピリットはしっちゃかめっちゃかな当時から驚くほど変わっていない。
「古顔達は、『レースは多少文明化された』と言うが、しかしおそらく当時のそれとほとんど変わっていないと思う」とブラウンは言う。
「当時レースに参加していた60〜70歳の男たちの中には、いまなおレースに出ているか、さもなくば関わりを保っている人もいる。金儲けをするためではなく、名誉を得るためでもなく、ただレースを愛しているというだけの理由で」。

 「信じられないような話だが、このレースは、70年代始めから、同じ車道・道路で行われている」とFishは言い加えた。「舗装されたり損壊されたところもあるが、基本的には当時の男たちが走っていたのと同じである。
レースはイベントとして発展した。
一部には、SCOREがこの半島を観光客に紹介したお陰でもある。
70年代初旬には、バハは観光客たちが目当てとするような場所ではなかった。
当時バハ政府が私たちを迎え入れたため、このような美しいスポットをプロモートする手助けをすることになったのだ。
彼は、我々がプロモートしたら、グリンゴ(英米人)達がやってくるのではないかと考えたのだ」そして実際、グリンゴ達がやって来たのである。
今日、レースは国際的なものとなった。
ロシア、スペイン、イタリア、フランス、イギリス、ドイツ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、そして日本から、競技参加者達がやってきたのだ。
バハ1000はその人気を保ち続けた。
当初開催された当時のスピリットを失っていないからである。
Fishは言う、「このレースは、男達やマシーンを悪天候と戦わせる、まさしくモータースポーツ・フ ォーラムである。ホリデー・インに行って、白いタオルとミネラルウォーターを買ってくる、というような世界ではない。バハは全ての面において、いまなお何年もの遅れをとっているが、そこが素晴らしい。なんと粋なのは、いまなおカーボーイが蹄鉄に油止めをつけているところだ。ただ南下し、走破するだけのレースである。問題にぶつかったら、自分で解決しなければならない。それが、私が心に期している重要なことである。レースには、そのようなスピリットを保ち続けて欲しいと願っている」。
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